2013年05月11日

病気の価値

糖尿病になってショックを受けない人はまずいないと思いますが、世の中には様々な病気があって明日の命さえ知れないような病気もあります。そういう病気に比べれば糖尿病という病気は遥かに楽でもある。だって完治はしないけれど治療法があるし命の期限はとても長い病気なのですから。

病気の無い人生ならどれだけ素晴らしいだろうと思う反面、病気によって得たものの価値も計る事が出来ないほど大きいと思っています。私の場合は先に治療不能の心臓病に罹って、医者からは「今夜、死んでも驚かない。遺伝子レベルの病気ですしね。」と言われて、もう20年近くなる。正直、まだ生きているのが不思議な思いです。

こういう人生は不幸なのか?

私はそうは思いません。別に強がりを言っているわけではない。

「自分に残された命の時間が短いのなら有意義に使いたい。」そういう風に考えて生き続けてきたからです。「生き様」と「死に様」という事と向き合う事が出来た事は私にとってはとても価値のある事だと思えるのです。普通の人の何倍も濃い人生を送るキッカケになったと思います。

人それぞれに人生観は異なりますが、私は生きた時間の長さよりも人生の質が大切だと考えています。私にとっては「座して死を待つ」とか「死を恐れて生きる」という事は既に死んでいる事と同等で、死の淵にあっても最期の瞬間までチャレンジ精神を持ち続ける事こそが幸せなのです。

病気になって、その事を悔いたり不遇を嘆いたりする人生って実につまんないと思うのですよ。普通の人よりも命の期限が短いのなら、その短い時間の中で納得のいく人生を送るというか、人生を凝縮させるというか、その方が遥かに意義深いし満足出来る。

普通の人よりも生きている実感や満足感を得られるのは間違いありません。そのように考えると病気も悪いものではない。心臓病で残りの時間が少ないという告知を受けて、ビクビクしながら生きていたり不運を嘆いていたら逆に20年も生きている事は不可能だったろうなと思います。1年さえも持たなかったかもしれません。

まあ、心臓病の宣告を受けてから事業の集大成を急ぎ過ぎた事が破綻に繋がった一番の要因かもしれないけど、破綻して臥薪嘗胆の日々を送っている今という時も非常に意義深いものだと思っています。辛くないと言えばウソになりますが、こういう日々を送る事も体験としては悪くない。人生の凝縮の中の一コマでもあるし、もし、復活出来れば喜びも倍増する事になるだろうし、失敗したとしても新たなチャレンジのネタが見つかるキッカケになるかもしれない。いずれにしても面白い人生という事になる。波乱万丈が私の性格には合っていますからね。

人生は長かろうと短かろうと心持ち次第で幸にも不幸にもなるのではないでしょうかね。不遇の時や幸運に恵まれた時が織り成すからこそ人生は面白いと思うのですよね。糖尿病になったから人生がつまらないものになるワケでもありません。別の見方をすれば今までとは異なった楽しみに巡り会える事になります。

病を得る事で得る価値は、その人の心持ち次第で大きく異なると思うのですよね。

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2013年05月05日

生きる支え 「ランドセル俳人の五七五」

人間って困難に直面すると「自分が世界で一番不幸せな存在」と思いがちで、中にはそれを悲観して自殺する人さえいます。糖尿病の人はうつ病に罹りやすいという記事を書いた事があります。一説には糖尿病の人の20%強にうつ病が疑われるとか。

糖尿病は様々なストレスに苛まれる病気でもありますから、その数字が大げさなものでもなく、また、心の弱さに起因しているとも思いません。だって現代の医学では治らない病気ですし、毎日、毎食、我慢を強いられたり周囲の無知によって心を傷付けられる病気なのですから。

先日は麻生副総理がずいぶんとヒドイ発言をしていました。糖尿病の何たるかを知らないが故の発言でしょうが「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んだ奴ら。」すなわち「自業自得で病気になった奴ら。」と思っておられる。彼だけでなく糖尿病の何たるかを知らない多くの人達の本音を代弁したに過ぎないようにも思います。

そういう現状の中で、イジメを受けて小学校を休学しているある1人の少年の記事が目に留まりました。身体が弱い事もあって小学1年からイジメを受け続け休学を強いられた少年ですが、彼が創る俳句は実に才能豊かというか感性豊かというか、本当に素晴らしい。

彼にとっては、俳句が大きな支えになっているらしい。

      

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心の支え。

糖尿病の人に限らず、人が生きて行く上で心の支えがあるか否かは人生に大きな差異を生じさせる。心の支えと言うと、「誰かが手を差し伸べる。」「誰かが支えてくれる。」という印象を持つ人が多いと思いますが、それは全く逆だと私は思っています。

自分の拠り所を自分で見つける事。
誰かの為に頑張ろうとする事。

そういう事が「心の支え」なのではないだろうかと思うのです。
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2013年04月25日

糖尿病と向きあうベターな発想 (後編)

他の病気であれば自身も周囲も「不摂生の結果」という見方をせずに「不運」というような捉え方をして、共に病と闘おうというムードになりますが、糖尿病の場合は生活習慣病というありがたくないジャンルの病気の代表みたいなものに指定されているので、どこかしら「自業自得」というムードさえ漂ってしまう。

悪い生活習慣を続けたから糖尿病になった・・・
まるで乱れた生活を送っていたみたいな。。。

だから、私は生活習慣病という名称が嫌いなわけです。

悪い生活習慣の総括が糖尿病という結果になったと言われれば自分を責める思いが出てきて当然とも言えますよね。だって、「あなたが病気になったのは自業自得です!」と言われているようなものですから。糖尿病の知識に乏しい人などは不摂生の結果が糖尿病だと思うのではないでしょうかね。

厚労省の意図が分らないではないけど、このネーミングは最悪だと個人的には思っています。

糖尿病に関して4年間も記事を書き続けていて痛感するのは、「糖尿病の本当の原因は何なのだ?」という事。実に様々な原因が唱えられていて実際のところよく分かっていないというのが実情です。正確に言えば、様々な要因が複雑に絡み合って糖尿病を発症するというのが正解ではないでしょうかね。

だから、同じようなライフスタイルをしていても糖尿病を発症する人と発症しない人がいるのです。先天的なものと後天的なものが不幸にもピタリとマッチしてしまった結果ではないのかというのが私の結論。糖尿病になりやすい体質を持っている人が糖尿病になりやすい生活スタイルを取る事によって運命が別れるという事。

元を正せばどんな病気だって同じではないか?

糖尿病はそれらの病気の中の1つに過ぎないと思うのですよ。

だから、自分を責めてはダメ!

糖尿病になって、自分を責めて、うつ病になるというのは割に合いません。他の病気と同様に運が悪かったと思えばイイし、発症した事は仕方ない、じゃあ、どうやって少しでも改善したり症状を悪化させないかという事に意識を集中した方が良いと思うのです。

それとね、完璧主義はどうなんだろうと思うのですよ。そりゃぁ完璧に対処した方が合併症は防ぎやすいでしょうが人にはそれぞれの人生観があって、こういう人生観でなければならないという事は無いのです。長生きする事を強く望む人もいれば、多少、人生が短くなったとしても自分の人生観に基づいた生き方を優先したい人もいるのです。どこで折り合いをつけるかが大切なのではないでしょうかねぇ。

捉え方次第では誤解を生じる解釈かもしれませんけどね。あくまでも私個人の考え方ですが、私は肉体的に長く生きながらえる事よりも人生の内容の充実に重きを置いており、糖尿病の為に妥協出来る範囲には限りがあります。譲れない部分があるという事です。

それが私の人生のスタンスというか生き様です。そういう自分なりの人生観を優先した結果、寿命が10年縮まっても私的には全くもってノープロブレム。むしろ、妥協できない部分まで糖尿病に捧げる人生は私には考えられない事だし、人生を終える時に後悔するのは間違いないという確信がある。

まあ、変人ですからねぇ。(苦笑

一応、誤解のないように書いておきますが、投げやりになるという事とは違いますので。ギリギリのラインまで妥協して、あとは自分独自の人生観と折り合いをつけるという発想で糖尿病と向き合うと心が楽になるという事です。ストレスをアンインストロール(削除する)事で糖尿病の改善効果があると思うのですけどね。
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